楽水庵ブログ

「限界を超える事は良い事か?」

いろんなスポーツにおいて「限界まで追い込む」、「限界を超える」ような練習をする事が、更に上のレベルに到達する為に必要だと思われている節がありますが、如何なものかと思います。

まあ、天才的な方もおられるのでしょうが、私自身の体験から言うと、ビギナーの時はハッキリ言って右も左もわからない状態、そこで一つ一つ頭に動きをイメージしながら覚えさせていかなければマスターできません。

ですから、まず大脳でいろんなイメージングをして、試行錯誤を重ね、そして上手くいった時のイメージを重ねていく、別の処で書きましたが人間の身体の動かし方をマスターしていく為に、更に上達していく為にはオーバーダビング、イメージを重ね録りしていくしかないと感じます。

「本能で動く」という表現がありますが、果たしてそうでしょうか?
例え、陸上の短距離走でも果たして一流のランナーが本能で走っているのでしょうか?
違うと思います。もし、あの素晴らしい走りが「本能」から来ているものなら、我々の遠い先祖は皆素晴らしい走りをしていた筈です。
だけど、古代の方がそんなに走るのが早かったとも思えません。
マラソンや競歩においてもそうだと思います。
確かに昔の方は交通手段が自らの足だった事もあり、現代の我々よりは遥かに健脚でした。
だけど、やはり現代の一流ランナーの方が速いと思います。

それは、何故かと考えると、やはり競技の発達に伴い、フィジカル・メンタル両面でのトレーニング法の発達があると思います。
どういう動き方をするか、その為にはどういう筋肉をどう鍛え、どんなイメージを持って競技に臨めば良いか、そういう事を積み重ねてきたからこそ競技者のレベルが上がっていくのでしょう。

決して、本能の動きではないと思います。
限界に近づいた時、また限界を超えたと思われる時にも一流の方はフォームがビギナーに比べ乱れにくい。
それは何故か?と考えた時に、一流の方は良いイメージの積み重ねがビギナーよりも圧倒的に多いからでしょう。

「運動を司るのは小脳」と言えますが、どちらかと言えば大脳がイメージした動きを各運動器官(筋肉)に上手く指令を出すのが小脳だと思います。
ですから、小脳は「動きのコントローラー」であり、こう動こうという意思を持たすのは大脳でしょう。

本当に限界付近で大事になってくるのは、大脳皮質の奥に刻み込まれた「最初の頃の良いイメージ」ではないでしょうか?
だから、それがある選手とない選手では疲れてきた時の動きが大きく違ってくるのでしょう。

しかし、だからといって最初から限界を超すようなトレーニングをさせて、動きがばらばらになり良くないイメージが大脳に刻み込まれれば、その選手の成長は止まってしまい、というか、成長は後退するでしょう。

そして、パソコン等と違い、我々の脳は「前の方の動きが良かった、あの時のイメージを思い出せ」と言われても、ハッキリ言ってそんなものを正確に思いだせることはできません。
パソコンのアプリと違い、ver.1 ver.2 とかで記憶しておいて、ver.2 が調子が良くないから削除して、ver.1 でと言われても、そんな事はできっこないのです。
良い動きのイメージを思い出すというよりも、新たに良いイメージを「上書き」しなければならないのです。

ですから、学校のクラブなどで新人にいきなり多くの練習量を課すのは考えものです。
やはり、身体を動かしていくのは考えながら、この表現が何でしたら「感じながら」、つまり大脳が覚えながら身に付けていくものです。

ですから、特にビギナーにフォームが崩れるまでの練習量を課すべきではありません。
早く疲れる場合には、その選手はやはりまだイメージが良くなく身体の使い方に無理がある、つまり「力んでいる」状態でしょうj。
かといって、とことんやらせて力みが取れるかというと、たまたまそうできた選手は良いでしょうが、力んだまま頑張って故障してしまった選手には目も当てられません。
イメージが良くなれば、つまり良い練習をして良いイメージを「上書き」できた選手なら力みもないので、そうすぐに疲れないでしょう。

ただ、そこまで持っていくのには、指導する方に大変な「辛抱」が要ります。
例えば選手の頭が「消化不良」にならないように、一度にたくさんの事を要求しない。
教える側としては、できるだけいろんなことを教えるのが選手の為良かれと思っての事なのですが、やはり大抵の選手は一つ一つ頭の中で消化していかなければ動けないのです。
レビルが上がれば経験値があるので、一度にいろんな事を教えても大丈夫な場合がありますが、まだ競技を始めて日も浅い選手にそれをするとまず壊してしまいます。

だから、一番求められているのは指導者のレベルアップ、同選手に良い動きをイメージを植え付けられるかと、一度にたくさんの事を教えたいのだがそれを堪える「辛抱強さ」かも知れません。





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